ESSAY

 第1回 佳作

歳を重ねて 時を重ねて

蜩 像子 様 (広島県)


 今年の秋、私の両親は三十六回目の結婚記念日を迎える。
娘の私が言うのも何だが、私は子供の頃から、あの二人はいつか必ず離婚すると思っていた。
その理由は彼らの激しい夫婦喧嘩にあった。犬も喰わないどころではない、まだ幼かった頃の私と兄は彼らの喧嘩が始まると、押し入れに潜んで息を殺していなければならない程であった。
ところが、ここ数年彼らは気味が悪い程、仲睦まじい。先日も、二人で東北へ旅行に出掛けたと嬉しそうに電話があり、その話に小一時間も付き合わされた。
 今年の春、父が足の怪我で入院したのだが、その時、母は連日病院へ出向き甲斐甲斐しく世話をしていた。今でも松葉杖が必要な父に、母はいつも寄り添い、手を貸しているのだ。
美しい光景である。しかし、私の目にはその光景を素直に現実として映すことが出来なかった。
”演じてんじゃないの?“ と疑ったりもしたが、そう何年も演じられる訳もないだろうと、私も彼らのおしどり夫婦振りを認めざるを得なくなったのだ。文句はないよ、別に。
でもそんなに仲良く出来るなら、もっと早くそうして頂きたいものだと、今年で三十歳になる娘は色々思う訳よ。でもね、それもこれも時が起こしたマジックと思えば腹も立たない。
彼らは単に三十六年の月日を消費して生きて来たのではなく、きっと大切に蓄積して来たのだ。
いろんな事があったもの。父の会社は倒産、兄貴は日本を飛び出したきり、私はやっと嫁に行ったかと思うと二年足らずで戻って来る。
そんな事件を一つ一つ、二人で蓄積して、ここに来てやっと ”ハイ、満期です“ って感じなのだと思う。そう思うと私も、貯金は大してないけれど、三十年の間いろんな経験をし、心の浮き沈みも味わって、今こうして生きていられるのは、ちゃんと時間を蓄積しているから。
都合良くリセットしようとせず、自分の一度通った時間に責任を持って生きているからかも知れない。
”時は金也“ とは良く言ったものだ。
 私達はつい、毎日時間に追われて生きてしまう。一日二十四時間、一分一秒に追いまくられ、時間が足りないと焦ってばかりだ。そんな時間だって蓄積されているのに、すっかり消えて無くなるものと思っている。でも一年二年、十年二十年と、大きな時の流れで考えてみると、人生ってそんなに捨てたもんじゃない。今出来ないことも、十年後には出来るかも知れないのだから。
 結婚三十六年目にしておしどり夫婦となった両親も、日本を出て五年になる兄貴も、三十歳を迎える私も、同じ時をしっかり生きているのだ。だから今は胸を張って言える。
私の家族は素晴らしい!
結婚記念日に家族四人、顔を会わせられないが、私と兄貴は、きっと同じ時間に時計を見て、”心からおめでとう“ と思うだろう。
歳を重ねて、時を重ねて、私達は本当の家族になれたのだと思う。

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