ESSAY

 第1回 佳作

父の時計 私の時計

仙田 多美子 様 (東京都)


 その時計が ”ロレックス“ である事を知ったのは確か19歳の頃だ。
今から20年も前のこと。それはお洒落な友人たちの間でもとびきりの時計だった。
私は父の腕にいつも光っていた古いステンレスのオイスターが欲しかったので、事あるごとに譲ってほしいとせがんでいたのだ。それは船乗りだった父が、外貨の持ち出しも自由にならなかった若い頃にやっとの思いで手に入れた時計だったことは、後に母から聞かされた。
その時父は、しぶしぶ完全なオーバーホールを条件に私の交渉に応じたのだ。
 当時は伊勢丹に、腕の良い職人がいるらしいことを友人から聞きつけて、そこに持ち込んだ。
正確な代金は憶えていないが、19歳の私にとってはかなりの大金だったことは間違いなかった。
それは本当にピカピカになって戻って来た。ところが、それを見ると父は急に情が移った様子で何かと理由を付けて手放そうとしないのである。
「約束がちがう」と怒る私に父はある日、小さな包みを手渡した。
「もうすぐ20歳の誕生日だからな。お姉ちゃんには内緒にしておけ」と言う。
箱を開けてみると、中には婦人物のロレックスが入っていた。父は質流れの店を見て歩くのが好きだったが、どうも馴染みの店の親父に頼んでいたらしいのだ。やはり自分のは手放したくなかったから、これは人質だなと思いながらも、めずらしい青の文字盤が一目で気に入った私は、あれから20年この時計を身に付け続けている。
 今思えば父からもらうプレゼントなんて、後にも先にもこれだけだったかもしれなかった。
独立して家を離れた後も、時々会うと思い出したように「オーバーホールしているのか?」とか、姉がボーナスでゴールドのコンビを買ったと聞くと、心が痛むのか「あいつもやっぱり欲しかったのかな?」と私に耳打ちしたりした。
 そんな父が昨年倒れた。いつも肌身離さず身に付けていたので、病床でも時計を外すことを嫌がって点滴や採血に来られるナースを困らせていたらしい。体の麻痺が進行してきた時には、「自動巻なんだから、しっかり動かさなきゃ」と言う私に父はうなずいて、不自由な左手を必死に動かし続けていたが、最後には力尽きてしまい、この夏を待たずに父は逝った。
海の男らしく葬式は溢れんばかりのブルーの花とキャプテンの制服で飾って見送った。
父と共に40年余りの歳月を刻み続けた古ぼけたオイスターだけが残された。
 たとえお給料で何でも手に入る身分になっても、私に青春の日々があったとするなら、20年の貴重な日々を一緒に歩んできたブルーのオイスターは、特別の存在だ。
この時計には、もうしばらく私と共に年を取り続けていってもらおうと思っている。

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