ESSAY

 第1回 佳作

父の日時計

岡田 亮次 様 (茨城県)


 満開の桜に大きな牡丹雪が舞い散る春の日に、父が亡くなった。 万事に控えめで目立つことを嫌った父が、桜と雪の花道を通って天に召されたのだった。 葬儀の終わった夜、遺品の整理をする母の横で、ぼんやりとウイスキーを舐めていると、古ぼけた四角い缶が目に付いた。父の遺品に別段興味はなかったが、 座興にとその蓋を開けてみた。 中には古ぼけた写真や覚書きの類が入っているだけで、残された遺族が呆然とするようなドラマチックな遺書など、ありはしなかった。 ただ、直径五センチ程の円くて茶色い軟膏入れを思わせる物が、妙に気にかかった。
  それは正しく軟膏入れのように、ねじ式の蓋が装置されていて、少し力を入れると軋みながらも回転して、やがて二つに分離した。分離した蓋の方には何も装飾がなかったが、容器に当たる方の内側には時計の文字盤のような目盛りと数字が刻まれていた。 茶色の軟膏入れは実は古びた日時計だった。日時計と言ってもちゃちな物で、 強いて言えばお菓子のおまけか駄菓子屋の玩具程度の体裁で、じっと見入る私の掌に乗っていた。 思えば私は父の何を知っていただろう。
  あの高度成長期に働き盛りだった父は文字通り時間に追いまくられ、 日曜、祭日も週日も子供だった私が起きる前に出かけ、寝た後に帰るという生活だった。 私は、あたかも母子家庭のような子供時代を送り、学生の頃は今度は私が家にいなかった。 退職した父が暇になる頃、私は家を出、やがて家庭を持った。 振り返れば父とじっくり顔をつきあわせて話などしたことがないことに思い至り、 しばし呆然とした。 掌の古い日時計はおそらく父が子供の頃の物だろう。 少年の頃の父が、もしかしたらようやく手に入れた日時計だったのかもしれない。 汗ばんだ握り拳の内に、半ズボンのポケットの中に、その日時計は少年だった父と常に一緒だったのかも知れない。その日時計は私が全く知らない父の姿を知っている、それだけは確かだった。 父はおもちゃの日時計をどういう想いでしまい込んでいたのだろう。
  父と私はまるで違う時を生きていて、その死も何処か遠くの出来事のように感じていた。 大きな背中に染み入るような愛着を感じる子供時代がなかったせいか、 その死から葬儀が終わるまで私の悲しみは薄ぼんやりとした物だった。だが掌の日時計は、つまらないベークライトの固まりは、そこにあるだけで私の息を詰まらせた。私はその日時計に、 私が知りたかった父の姿を見つけたのかも知れない。
  「どうしたの。おかしな子ね」
母の声が聞こえた。掌にのせた何かをじっと見つめる息子を、不審に感じたのだろう。
「これもらって良いかな」
掌から微かに広がる温もりは、長い年月自分でもそれと気付かなかった心の強張りを、ゆっくりと解かしてくれるような気がした。
 父を喪ったその日に、私は父と再会した。

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