ESSAY

 第1回 佳作

八十三回目の誕生日

石川 由紀子 様 (京都府)


 その日私は、鹿児島方面に向かう列車の中で、不安定な膝の上で大きな白い箱を抱えていた。
博多の百貨店で買い求めたそれは列車の揺れに合わせて微かに動き、膝と手にはドライアイスの冷気がじんわりと伝わって来る。
脳硬膜下出血による緊急手術で一命を取り止め、入院して約一ヶ月、八十三歳の誕生日を迎える病院の祖母に、休暇を取って私は京都から会いに行くところで、誕生日ぐらい、自宅で過ごさせてやりたかったので、事前に外泊許可を取ったのだった。
――家に向かうタクシーの中で祖母は何度も「何や知らんけど、バァさん、髪が短いなぁ」「あんたが来ると分かってたら晩の準備しとったのになぁ」と済まなさそうに繰り返し、その度、私は切ない気分になった。
――夕食は寿司を取った。シャリが柔らかく今一つだったが、「魚は久し振りや。寿司なんか一人だと取らんもんね」と御満悦で祖母はよく食べた。
広い家に二人きり、掛時計の刻む音と咀嚼する音のみが響き、何だか不思議な心地がした。
――祖母の顔が輝いたのは、食後、ケーキを取り出した時だった。
純白のクリームの上の色とりどりのフルーツ。苺、葡萄、オレンジ、メロン、パイン、キウイ…。
 「きれかア。宝石ン、ごたる」
私はありきたりが嫌であえて定番のケーキを選ばなかった。手荷物になったが買って帰った甲斐はあった。
「こげンきれかもン見ンの生まれて初めてじゃア、食べンの勿体なかア」と言ってしばらく眺めていた。
ローソクを差すよう促すと、「こげンきれかとこにイ差したら勿体なか」と差そうとしないので、私が大きい物八本を外側に、小さい物三本を内側に、等間隔に円状に差し、火を点け、明かりを消した。
 「おいは、あとどれ位、生きれるじゃろか」
 「何、言ってンの。元気になったんだから、名前がツルなんだから、千年は無理としても、百年は生きなきゃね」
 「じゃろねエ。憎まれっ子世にはばかる、まァだ生きとらすとばいって。けど、そげン生きたらケーキは特大じゃなかばローソク立てられんね」
からからと笑った祖母の顔は童女のようで、揺れるローソクに照らされたその顔は柔和で綺麗で、私は急いでカメラのシャッターを切った。彼女は一瞬一瞬を生きている。
今日のことも、一晩経てば忘却の彼方、明日病院に戻ってしまえば私が来たことも忘れて眠りにつくに違いない。症状は緩やかに、しかし確実に進行すると、医者は言っていた。
時の流れも又、誰にも止められない。けれども多くの人は、その断片を五感を通し、例えば人や物、景色等に託して「記憶」として捉えることは出来る。
彼女にはそれが残念ながら出来なくなってしまったが、いつかこの写真を見たら「自分にもこういう時があったのだ」と思う縁にはなるだろう。
――おめでとう、おツルさん。いつまでもお元気で――。

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