ESSAY

 第1回 優秀賞

旅立つとき、生まれ来るとき

関田 美智子 様 (埼玉県)


 私の初孫誕生の知らせが届いたのは、母が人生の終わりを迎えようとしていた時であった。
92歳の母は、明治、大正、昭和、平成を、時代の荒波にもまれながらも毅然として生きぬいてきた厳しい母であった。
経営者であった父を支えて、従業員、その家族に気を配り、3人の子供達を育てた。
厳しくなければ生きぬけなかった時代であったろう。その母も孫には目が無く、孫達も「おばあちゃん、おばあちゃん」と慕っていた。
常に一家の采配を振るっていた気丈な母が父を見送った後、少しずつ自我を失って行き、そして子供達の顔も、孫達の顔も判らなくなってしまった。
それでも時にはしっかりした会話ができるときもあり、私たちは一喜一憂した。
そして私たちは「もうすぐ曾孫が生まれるからね。赤ちゃんが来るのを待っていてね」と言い続けた。母もその時はにっこりと笑い「赤ちゃん、来るのね」と答えてくれた。
痴呆であることを忘れる事の出来た一瞬でもあった。
 母の人生は苦難の道のりであったことを思うと、延命治療はさけて安らかな終末であってほしいと願い、最後まで自宅看護にこだわった。意識が無くなり、食事の摂取が不可能になったとき私たちは、延命治療はしないと決めていたにもかかわらず、医者に延命のための治療を頼んでしまった。
最も避けようとした管が母につながれ、私たちは、私たちの為に1秒でも、1分でも長く母に生きてもらう事になった。
こんな時、新しい命の誕生が知らされた。
 その夜、母は私たちに別れを告げた。やすらかな最後であった。
母に関わりを持ってくれた方々は、戦中、戦後、母に助けられた事、恩を受けたと深く感謝してくれた。
わが身をいとわず手を差し伸べたであろう母が偲ばれた。
平成に生を受けた私の孫の時代は、これからどうなって行くのだろうか。
深く考えると不安がどんどん押し寄せてくる。
 しかし、大変な時代を生きた母にも苦しみを押しのける希望があったのだから、私たちは、これから生まれてくる者たちが大きな希望を持って生きていけるよう努力を続けよう。
「おばあちゃん」と孫が駆け寄ってきたとき、受け止めて「大丈夫だよ」といってやれるしっかりしたおばあちゃんになれるよう頑張ろう。
私たちのあの母のように。

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