ESSAY

 第1回 大賞

結婚祝い

岡部 貴之様 (埼玉県)


「お前も所帯を持つのだから、もう少し身なりに気をつけろ」
結婚式の当日、先に式場へ向かう事になっていた私の身支度を見て、父はそう言うと、箪笥の一番上の引き出しから小箱を取り出した。
「これをやる、持って行け」
有無をいわさぬいつもの態度で、父は私に小箱から取り出したロレックスの腕時計を押しつけると、背を向けて新聞を広げた。
頑固者の父は公務員であった。子供の頃は、周囲が農家か商店の子供ばかりで、公務員という父の職業は、少し誇らしかった。しかし、物心がついた頃には公務員という存在が「小役人的」な安定感や事なかれ主義の代名詞として使われている事に、理由も無く恥ずかしく感じたりするようになっていた。
中学生になった時、父から初めて腕時計を贈られた。初めての電車通学には必需品で、ひどく嬉しかったのを覚えている。
だが、その時計を身につけていた頃は、始終父と衝突していた。自我に目覚めたばかりの中学生にとって、父の存在はうるさいだけで、ハンカチは二枚持て、時計はいつも三分進めておけ、
などという小言も小役人の処世術そのものでうんざりしていたものだった。
次の時計を手にしたのは、大学に入学した時で、やはり父からの入学祝いであった。
シンプルな文字盤と無骨な作りが妙に気に入っていて、学生向けの安っぽい時計だったが、結婚式の当日まで愛用していたものだ。
式場へ向かう車中で、私は父のくれたロレックスを左手首にはめた。
この時計は、父が勤続三十年の記念に自ら買ったものだが、それまで本人が身につけている所を見た覚えが無かった。
案外、入手した時から私に譲る気だったのかもしれない。
私は結婚する時にまで、父から時計を贈られたのが少し照れくさく、苦笑いを浮かべた。
やがて式も披露宴も無事終わり、私と妻は、学生時代の友人たちが催してくれた新宿での二次会に出席し、楽しいひと時を過ごした。
私たちは愛読していた庄司薫の「さよなら怪傑黒頭巾」にちなみ、新婚旅行先を箱根・熱海三泊四日と決め、友人たちの万歳三唱の中をロマンスカーで出発することにしていた。
ところが、荷物の受け渡しに手間取った為、駅についたのは出発間際になってしまった。
いくら何でも、列車に乗り遅れては洒落にならない。私たちは慌てて連絡通路を走った。
ーーまずい、発車時間だ。
ホームへの階段を駆け上がる寸前に見たロレックスは、無情にも発車時間を指していた。
ところが、ホームへ駆け上がった私たちを迎えたのは発車のベルではなく、三十人以上の友人たちの歓声であった。
ホームの時計は、発車三分前を指していた。
父が贈ってくれた結婚祝いの三分間に、私たちは友人たちの万歳三唱と、クラッカーの炸裂音と、車内の人々の暖かい爆笑に包まれていたのだった。

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