ESSAY

 第2回 佳作

私のクリスマスメモリー

樫原 とし子 様 (北海道)


 あれは忘れもしない、太平洋戦争末期のクリスマスイヴの夜のことでした。
子供たちが、「クリスマスケーキを食べたいよぉ」と訴えて、泣きじゃくり始めたではありませんか。だがその頃は、極端な食糧不足で、主食の米はむろんのこと、小麦粉や牛乳なども入手困難となっておりました。
かてて加えて砂糖・蜂蜜・水飴も市場から姿を消しておりました。
そんな状況下で、クリスマスケーキを作ることなど、夢のまた夢です。
だが子供たちは容赦しません。「母さんの手作りケーキが食いたいよぉ」と、拳でテーブルを打ち、足で床を叩いて、泣きじゃくります。
おそらく戦前のクリスマスの夜を思い出し、私の作った、生クリームたっぷりのケーキにむしゃぶりついたときのことを思い浮かべているにちがいありません。
 ほとほと困り果てた私は、あれこれ考えた末、裏の白樺林に出掛けました。そして数本の幹に、ボルトで穴をあけ、U字管を差し込み、その端にバケツを掛けました。
やがて白樺の樹液が集まりました。
私はそれを鉄鍋に入れ、ことことと煮詰めました。鍋底にわずかに残るほど煮詰めると、ほんのりと甘く感じられるまでになりました。
 次いでわたしは、無けなしの小麦粉やバターなどを使って、ケーキの生地をつくりました。
そして薪ストーブのうえにフライパンをのせ、ケーキまがいのものを焼き上げました。
ほかほかに焼き上がった、心尽くしのケーキのうえに、私はたっぷりと、白樺の樹液シロップを掛けてあげました。
 子供たちの、もう喜ぶまいことか――。手を打ち、目を輝かせたではありませんか。
私は目を細めながら、子供たちのむしゃぶりつく姿を打ちながめました。
それは母親として、とても嬉しい、至福のときでした。
ケーキのあふれ返った現在の子供たちには、とても信じられない話かもしれません。
 だが、わずか五十年余り前に、そうした時代があったのです。
毎年、クリスマスがやって来て、ケーキをいただくたびに、あの苦難の時代、そして、あの白樺の樹液シロップの掛かったケーキを頬張る子供たちの笑顔と歓声が、懐かしく思い出されます。
私にとって忘れられぬクリスマスメモリーです。

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