ESSAY

 第2回 優秀賞

ひと切れのメロン

成沢 未来 様 (長野県)


 父と母は本当に勤勉な人ですが、それには理由があり、特に数年前群馬県に住んでいた時の父は、僕達が心配するほどよく働きました。
 僕の担当医師であるK先生が群馬県へ転勤されると、両親はあっさり退職し、先生を追って群馬県に移り住みました。先生は僕の命を救ってくれた脳外科医で、今後も続くであろう手術をお願いしている先生だったのです。父は農協職員で旅行の仕事をしていました。母は看護婦です。
両親は知人の紹介で仕事を見つけ、母は以前のように病院勤務となりましたが、昼間だけの外来勤務でした。しかし、父の選んだ職業は水道屋です。全く無関係の仕事を選んだのは、当時社会は折しもバブル景気の真っただ中、父は僕の入院費や手術費用を稼ぎ出すために慣れない仕事にも没頭していったのです。早朝から深夜まで働く父、父と話すことはもちろん会う機会もなくなりました。僕の記憶では、父に休日らしい休日があった覚えがないのです。ただ、父が半日中ずっと眠り続け、僕が父の部屋に入ろうとして、ひどく母に叱られたことばかりです。
今思えばあれが父の休日だったのかも知れません。その深夜、父はまた仕事に戻ったようでした。
 僕は脊髄の病気で、僕の頭の中には小さな機械が埋め込まれています。
下半身は麻痺したままで移動するのも、トイレをするのも人の手を借りなければなりません。
それでも母は大層きびしい人で、僕は両親に甘えることは許されませんでした。
そのためか人前に出ても、何でも自分で出来るようになるまでそれほど時間を要しなかったと思います。
しかし、僕は突然発作を起こしました。三日間苦しみやっと手術を受けることができました。
K先生が出張されていたのです。
 十二月も半ばを過ぎた頃、僕はやっと退院しました。そして、二十四日。その夜はクリスマス・イブ。
あちこちの家ではケーキを買って家族が楽しい時を過ごしています。
僕の住む社宅でもこの日ばかりは、どの家も父親がプレゼントを片手に早々と帰宅していますが、僕の家は相変わらず母と二人きりの食事。母は退院後退職していました。
 すっかり熟睡していた僕は、母に優しく起こされました。
すると、隣りの部屋で泥だらけの作業服のままの父が僕を手招きしています。
僕は這いながら父の元に行くと、父は赤いリボンの付いた小箱を手渡してくれました。
母が箱を開けるとメロンののったショートケーキが現れました。父は覚えていたのです。
僕がクリスマスにメロンを食べたいと言ったのを。ひと切れのメロンを食べると父は「すまんなぁ、こんなメロンで」と小さくつぶやきました。
 あれから僕達はふるさとに帰り、父は自宅で設備業をしています。
父には毎日会え、僕には十一才年下の双子の弟ができました。
僕は歩けるようになり高校へ通っています。
父は外出するとよくマスクメロンを買って帰ります。
あのクリスマスの夜を思い出すように。

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