ESSAY

 第3回 優秀賞

3回コールよ いつまでも

志田 恵理 様 (埼玉県)


リーン、リーン、リーン。
3回コールの後、受話器を置いた。私が元気でいる印である。
 10年以上前、憧れのフランスへ留学。何もかもが初めてで、楽しい新生活になると、期待に胸膨らませていた。ところが、ようやく入居したアパートは、水漏れがするので新たに他の物件を探すことに。日本でさえ一人暮らしをしたことのない私には酷な話であった。
 ロータリー財団奨学生として、多少の奨学金はあったが、さらなる礼金、敷金を考えると節約して生活しなければならない。そこで引越しするまでは電話を引かない、と決めコミュニケーションの方法を編み出した。
 公衆電話から、実家に3回コールした時は私が元気でいる印。5回コールした時は家から電話が欲しい時。
公衆電話には電話番号があり、その番号は家に伝えておいた。友人には私から電話をし、約束に間に合わないような時には前日連絡した時に伝えてもらうことにした。南仏の田舎だったためもあり、街は歩いて殆ど生活に足るようなところで、友人の中には、アパートに伝言を残すことを喜んで習慣にした人もいた。それでも最初は知る人のない街で寂しくなり、週末の日本へのコールは5回になることが多かった。
 そんなある朝、チャイムが鳴った。4階の窓から下を見ると、郵便屋さんが私に届け物があると、叫んでいる。
誰からだろう?と駆け降りると、小さなダンボールの上には確かに私の名前が。
差出人は留学前に働いていた会社のパートのおばさん4人であった。
 アパートが決まったその日にフランスの住所を、お世話になった方にご挨拶と共にお知らせしていた。宝物を探し当てた気持ちで自分の部屋に戻り、ダンボールを開けると、中には梅干、海苔、昆布、それに布巾やお箸までが入っていた。
「もー、こんな物まで入れてー」
と、うれしい気持ちを口に出し、中に入っていた手紙を読んだ。体に気を付けること。外国なのでよくよく注意すること。など、母の言葉と一緒であった。はっとした。
 母は心配しているのだと思った。いつ出るかわからないアパートに日本食を送ることも出来ず、電話をすることも出来ず、何回のコールだろうと受話器を取りたいのだと思った。
でも、取ったらフランスからの電話代がかかるので耳をそばだてているのだと。
だから5回コールの後、すぐに公衆電話が鳴るのだと。
奨学金で一人頑張っていると思っていた自分が恥ずかしくなった。
 それ以来5回のコールをするのは止めた。するのは3回か、そのまま鳴らし続ける。母の声がよそ行きから嬉しい声に変わるのを何度か聞いた。
 今年、会社の研修でパリに8ヵ月ほど滞在した。携帯電話やメールがさかんな時代になったが実家へは3回コールが懐かしく思えた。
 私が元気でいる印である。

ESSAY TOP

このページのトップへ