ESSAY

 第4回 大賞

セミの応援歌

谷本 美弥子 様 (広島県)


 その夏は、特別に暑い夏だった。小学六年生の私は夏休み中、海にもプールにも行かず、黙々と校庭を歩いていた。いや、歩かされていた。じりじりと照る太陽。降るようなセミの声。ふき出した汗は額に流れ、目にしみた。
 五年生の一月、私は交通事故に遭った。信号を無視したダンプカーに倒され、轢かれて右足を三ヵ所も折り、うち二ヵ所は複雑骨折だった。今思えば、その頃の医療は旧式で、私は形成手術なしでギブスに固定され、1ヵ月以上ベッドに転がっていた結果、骨は砕けたまま固まって回復し、良い方の左足を軸にして杖を使って歩く訓練をはじめた。
 その矢先、父が倒れた。私はその時、父の収容された病院へと馴れない一本の杖を使って必死で急いだのだが、父の死に目には会えなかった。それで私は、自分はもう歩く必要はなくなったのだと感じた。
 そんな状態のまま六年生になったものの、活気にあふれる小学校が楽しい訳もなく、私は休みがちになり家にこもった。すると夏休み前、六年のクラス担任が一方的に宣言をした。
「あなたは卒業する時は杖なしで歩き、二本の足で歩いて中学校へ行きます」
先生は母にも言った。
「杖を使って歩けば、社会生活に制約が出ます。片足をひいても杖なしで歩かせたい。訓練させて下さい」
よく響く大きな声ではっきりと話す男の先生だった。医者も母親も本人すらもあきらめていたのに、先生は本当に熱心だった。
 私は動かない右足をかばい、杖を使って前へ進もうと身をよじるのだが、体は思うようには動かない。癇癪をおこして杖を投げ捨て、その場にしゃがみこむと、大きな手にがっしりと両肩を掴まれ、もう一度立たされた。
 夏の陽が傾き、私がテコでも動かなくなると先生は、
「セミもよく鳴いた、あなたもよく頑張った、今日はここまでにしよう。また、あしたな」
と爽やかに言い放った。私は疲れ、反抗的になり頭にきているのだが、汗びっしょりの先生のワイシャツや陽に焼けて真っ赤になった首や腕を見ると、「もうやめたい」と言うことができなかった。
 暑くて長い四十日間。叱られ、励まされ、転んで、起きて。繰り返しの末に夏休み最後の週、私はふいに杖を離して歩いた。一瞬何も聞こえなくなり、先生の腕に倒れ込みながら後を振り返ると、私が手放してきた杖が十メートル後ろの地面に転がっていた。そして先生の「歩いた!歩いた!」という声とセミの声が大合唱になって耳に溢れた。
 子どもの回復力は早い。しかし回復したのは足だけではなかったと思う。私は信頼や希望を持つことを学び、多くの別れと出会いを経験しながら、その後も自分の足で立ちしっかりと人生を歩めた。
 杖を捨ててから五年後、私が新しい養父母の元で、片足を引く歩き方も克服したことを金井先生は御存知ではない。
 盛夏、生命の限り鳴くセミの声を聞く時、私は夏の校庭を思い出している。

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