ESSAY

 第4回 佳作

ご来光を見に行く

浅野 憲治 様 (愛知県)


 朝の三時といっても、ほとんど昨日の夜の続きのようなざわめきが山小屋いっぱいに溢れていた。
私たち夫婦も眠れないまま、身体を横たえ休息したにすぎない。
重苦しく感じるのは、空気が薄いからか、それとも疲れと眠気のせいか判然としない。
「一度で良いから私も連れてって」
妻はいつも家に取り残され、不満の声を上げていた。
二ヵ月に一度ぐらいのペースで登山を楽しんでいる私は、鈴鹿山系や養老山系など、近くの山は、ほとんど庭のように知り尽くしていた。
こうして日帰り登山しか楽しめない私も欲求不満が蓄積されている。夏休みの長期休暇は、そのガス抜きには、ちょうど良い機会である。
(登山は一人で行く)というのを頑なに守っているのも、孤独になり、誰にも邪魔をされず、自分のペースを守れるのは一人で登る登山だけだと信じていたからである。
そこには日常はなく、 煩わしい人間関係もない。二人で行けば、会話が生まれ、相手の体力に気を使いペースが乱される。ストレス解消のための登山が却(かえ)ってストレスをためることになる。
だから頑なに、敢えて孤独な登山をしている。
 しかし、妻の繰り返される懇願に遂に折れ、今年の夏休みは、初めて二人で富士山に登ることにしたのである。
富士山なら山小屋も多いし、妻の体力から考えても登れるかも知れないと思ったのである。
それに(ご来光の感激を妻にも味わってもらい、登山というものの楽しみも知ってもらいたい)と願ったからである。
 誤算が三つもあった。一つは妻は想像以上に体力があることである。
私のペースに遅れずについて来る。それと今年の富士山は雨が多く登山道がぬかるんで初心者には、つらい登山になったことである。
しかし、妻は不平ひとつ言わずに、黙々と歩く。家では、一時間ぐらいなら、くだらない話を平気で続けることが出来るのに、登山のマナーを知っているのか寡黙に歩く。
頂上を目指す黒い影が、亡者のように続く。
はぐれないように妻と私は身体をザイルで結びあわせている。
 頂上までの一時間、妻は一言もしゃべらない。身体がきついと思われるのに「つらい」と言わない。大した根性である。
頂上に着くと、ほとんどすし詰め状態である。こんなに登山がブームになっているのかと驚かされた。見渡せば、若者よりも、どう考えても五十代の中高年が多い。
高齢化社会がここまで来ているのかと感ぜずにはいられない。
 薄い雲が茜色に染まってくる。いよいよご来光の時間である。静寂が山全体を覆い、荘厳な感じさえする。白い光がサーッと照らすと同時に 「ワァー!」と言う声が湧き上がる。
 私と妻は、何十年ぶりか、思わず手を握り締め合っていた。
 これからは、妻と二人だけの登山も良いのかも知れないと心の中で思っていた。

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