ESSAY

 第4回 佳作

父と過ごした十日間

奥村 由布子 様 (埼玉県)


 小学一年の夏、妊娠していた母が体調を崩し、入院した。
入れ替わりに、いつも仕事で忙しい父が休暇を取り、私の面倒をみる事になった。
それが、私にとって忘れることの出来ない十日間の始まりだった。
 まず初日から、朝六時に起こされた。
眠い目をこすりながら着替えをして、三十分間のマラソン。庭の草木に水を撒き、
朝食を済ませると、昼食まで勉強。午後からは、公営プールで水泳の練習をさせられた。
泳ぎの達者な父は、ほとんどカナヅチの私に非常に厳しかった。
あまりに大きな声で指導されるので、クラスメートに見られたら恥ずかしいな、
とその事ばかりを考えていた。
 夕方近くにプールから自宅に戻り、犬の散歩を終えて、やっと夕食。
入浴は、恥ずかしいので一人で済ませた。父と入った記憶など、なかったからだ。
そして夜八時前には、ベッドに倒れこむようにして眠りについた。
 不思議な事に、数日経つと、朝六時の起床が苦にならなくなっていた。
マラソンも体に慣れ、徐々に時間を延ばして走れるようになった。
夏休みの宿題もほとんど片付いたので、苦手な算数の問題を父に作ってもらったり、
大好きな読書をしたりするようになった。
ただ、プールの時間は、相変わらず楽しめなかった。
明るい笑い声の子供たちが羨ましかった。
 母からは、毎日電話がかかってきていた。私が容態を尋ねても、
「お母さんは大丈夫。お父さんの言うことをよく聞いてね」
と答えるばかりで、いつ退院できるのかは教えてもらえなかった。
私も泣き声を聞かせたくないので、いつも早めに父に受話器を渡していた。
 十日目は、なぜか公営プールに行かず、自宅で、父が膨らませてくれたゴムプールに入った。
久しぶりのゴムプールに、初めは戸惑い、恥ずかしかったが、
笑顔で誘ってくれた父を悲しませたくなくて、そうっと足を入れた。
泳がなくてもよいプールはただ眩しく、ひんやりとして、気持ちが良かった。
父と共にうたた寝してしまいそうになった時、けたたましい音で電話が鳴った。
「電話、取ってごらん」
促され、受話器を取ると、母の声が聞こえた。
「今日、あなたの妹が産まれたのよ。パパとのお留守番、ありがとう。
退院までは、今まで母さんに付き添ってくれていたおばあちゃまが、
あなたの面倒みてくれるからね」
 私の後ろで父が、全てを知っている顔で満足げに微笑んでいた。
その夜は、私から誘って父と入浴した。
もちろん、誘ってあげたのはその日が最初で最後だったけれど。

ESSAY TOP

このページのトップへ