ESSAY

第5回 優秀賞

三十年目の贈り物

大原 保治 様 (大分県)


 身体の弱い娘だった。冬だけでなく、夏でもよく風邪ひいた。
風邪をひいた娘は必ず持病の小児喘息を併発して苦しんだ。
 小児喘息という爆弾を抱えながらも、娘はなんとか無事に成長した。
いい塩梅にその持病も年ごとに軽くなり、やがて大学受験の時を迎えた。
 娘が東京の大学に進学を決めた時、私も妻も反対した。
決して丈夫とは言えぬ娘が、たった一人の下宿生活に耐えられるだろうか。それが心配だった。
しかし、私たちの反対を押し切って娘は東京に旅立って行った。
 四年間の大学生活を終えた娘はたくましく変貌して戻ってきた。
世間の波に揉まれて、もう立派な大人だった。
娘は高校教師の職を得て、再びわが家を離れていった。
仕事が忙しいらしく、めったにわが家には寄りつかない。
盆正月か、特別に用事があるとき以外は顔も見せない。それも段々間遠になっていった。
まるで私たちを避けているかような態度が淋しかった。
 ある年の大晦日、珍しく家に帰ってきた娘は、二晩だけうちに泊まった。
帰り際に娘がポツンと言った。「ちょっと用があるから、私のために七日の夜を空けておいてね」
娘がそんなことを言うのは初めてだ。
《ひょっとすると結婚相手の男を連れて来るのではないか》私は心中ひそかにそう思った。
 三十になるまで浮いた噂一つない娘に、私の方が焦りを覚えていた。
「どんな男でもいい。娘が選んだ男なら許してやろう」とそう思い定め、妻にも
「絶対反対するな」と言い含めた。
一月六日の夜、「明日の夜六時、○○というレストランに来てほしい」との電話があった。
そこで彼に会わせるつもりに違いない。
 当日、妻と二人、指定された店に行った。
隠れ家めいた造りのレストランは、いかにも今日の会合にふさわしい場所に思えた。
 しかし、案内されたテーブルには二人分の食器しかセットされていない。
そしてシェフから「お手紙をお預かりしております」と一通の封書を手渡された。
開いてみると、娘の字で「結婚三十周年おめでとう。そしてありがとう」と書いてあった。
 その時は初めて気がついた。一月七日は私達の結婚記念日だ。
娘の結婚のことだけを思い描き、そのことはすっかり忘れていた。
 私たちに無関心で冷たい子だと思っていた娘。その娘がセットしてくれた晩餐。
 娘からの『三十年目の贈り物』だ。
 その晩、私達は気持ちよく酔った。普段は酒を嗜まない妻も、目許を薄く染めた。
娘の心の温かさがじんわりと胸に拡がった。
 その夜の晩餐のメニューは、今でも大切に保存している。
私は死ぬ時、娘への別れの手紙の中に入れておくつもりだ。
「『三十年目の贈り物』。本当にありがとう。うれしかったよ」のひと言を添えて…。

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