ESSAY

第5回 優秀賞

再会

城戸 純哉 様 (東京都)


 私の父は、北海道の鉄道員だった。
雨の日も、凍てつく厳しい冬の日も、汽車を運転し続けてきた。
 そんな父も、私が2年間の浪人生活を経て遠く離れた九州の大学に通っているとき、
勤続38年目にして定年を迎えた。
 親不孝者を自認していた私は、筆舌に尽くしがたい感謝の念から、手紙を書いた。
内容は、恥ずかしくてとても言えない。
しかし、父の心にとどいたのだろうか。父から電話がかかってきた。
「もしもし、純哉か。手紙トドイタぞ」
「最後の運転の日には、授業さぼって釧路に帰るから」
「そうか」
父は、用件だけを言い、すぐに電話をきる。いつも不器用で、無口な人だ。
 私は、福岡空港から、新千歳空港へむかう飛行機に乗り、
南千歳で、釧路行きの汽車に乗り換え、釧路駅へと向かった。
九州では、北海道にはない花束を買っておいて、それを渡すことにした。
窓外の景色を見ながら、自分が苦しんだ6年間と、
父が勤め上げた38年間の時を、僭越ながら比べていた。
どんな言葉をかけたらよいのだろうか。景色のように流れていくだけだ。
「この汽車を38年間も、無事故で運転し続けたんだよな。
辛いこともあっただろうし、本当にご苦労様でしたとかしか言えないな」
 釧路駅に着いた。
 そこではすでに、母と姉と、そして、父が花束をたくさんかかえて、待っていた。
私の到着の方が遅かったようだ。
「間に合わなかったんだね。これ、受け取ってください。38年間本当にご苦労様でした」
 JRのたくさんの職員の方たちから、拍手をあびて、父は、何度も頭をさげていた。
 夜7時、予約していたホテルで会食をする。4人そろって食事するのも数年ぶりだ。
地元の信用金庫で働いていた姉が、妙に大人にみえた。大学生のときとは、顔つきが違う。
「フランス料理のフルコースで、飲み物は赤ワインなんてオシャレすぎない」
私は、母にそう言い、父の目を見た。
「言葉はいらないの。さあ、みんなで乾杯して食べましょう。
お父さん、長い間本当にお勤めご苦労様でした。乾杯!」
 今まで食べたことのないおいしさだった。
久しぶりの再会に、話もはずみ、なごやかなひとときを過ごすことができた。
赤ワインを飲むときの父の顔は、年齢を重ねてきた大人の重みを看取することができ、
頼りがいがあった。
 ひとりだけ働いていない大学生の私は、父と母と姉に、ちょっぴり嫉妬心を憶えた。
とともに、早く社会人になって、家族そろって、またこんな素敵な時間を過ごせるよう、
日々努力していこうと、釧路駅から汽車に乗り込み、次の再会を心に誓った。

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