ESSAY

第5回 優秀賞

お爺ちゃんの煙突

谷門 展法 様 (東京都)


 私には、今も、お爺ちゃんが煙突を掃除していた姿が、昨日のことのように目に浮かんできます。
兼業農家をしているわが家では、自分のところで取れた米で、ご飯を炊いていました。
そのご飯を炊く為の釜があり、その釜の為の煙突がありました。
そんな煙突を掃除するのが、お爺ちゃんの役目でした。
 お爺ちゃんの煙突掃除はとても上手で、私達家族は、
お爺ちゃんの煙突掃除のお陰で美味しいご飯が食べられる、と喜んでいました。
そんな声を聞いたお爺ちゃんは、とても嬉しそうに頷き返し、より一層力を込めて、
魂を入れて、煙突を掃除していました。
だからわが家では、いつでも美味しいご飯が食べられました。
 でも、いつしか、お爺ちゃんが煙突を掃除する機会は減っていきました。
電気でご飯を炊くようになり、釜がいらなくなったからです。
 そしてついに、私は小学校に入る頃、家から釜の煙突が無くなりました。
 お爺ちゃんが亡くなったのは、それから直ぐのことでした。
釜の煙突と一緒に天国に行ったのだろうと、私は思いました。
 でも、私達家族は、お爺ちゃんを忘れてはいません。
その年の最初に取れたお米で炊いたご飯は、釜の煙突を掃除してくれたお爺ちゃんへ、
と遺影に奉っています。
 そのせいかどうか、わが家では、釜の煙突が無くなった今も、美味しいご飯が食べられています。
私も大人になり、田舎を出て、随分時が過ぎました。
でも、田舎のご飯の美味しさを忘れたことは、一度もありません。
たまの帰省の食べるご飯の量は半端ではありません。
 それ程までに美味しいご飯を食べている時、ふと、ああ、こんなにご飯が美味しいのは、
天国にもあるだろう釜の煙突を、今も、きっと、お爺ちゃんが掃除をしているからだろうな、と私は思ったりしています。
 美味しいご飯が食べられる限り、お爺ちゃんはいつでも、いつまでも、
私の、私達家族の、傍にいるのです。

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