第5回 佳作
もう一つの母の顔
「ここがお母さんが通っていた学校だよ」
家族で母の実家を訪れていた夏休み、母が私を手招きして呼んでいた。
「いい所に連れて行ってあげる」そういう母に、私はとことこついて行った。
どこへ行くんだろう?そこは、母が通っていた高校だった。
今まで何度も母の実家には来たことがあったが、学校に連れて行ってくれたことはなかった。
母も卒業以来来たことはなかったらしい。
「懐かしいなぁ」
そういいながらどんどん校舎に入っていく母。
「ちょっと、待ってよ!入って怒られない?」
不安がる私を尻目に、
「大丈夫、大丈夫!だって卒業生だもの」
楽天的な母が大きく腕を振りながら言った。
「ここだったかなー、高3の時の教室。どこ座ってたっけ」
席に座りだす母。
「えー!それはだめだよー!」
「体育館!お母さんバレー部だったんだよ」
転がっているボールで遊び出す母。
「ウソー?!だって小さいじゃん!」
「音楽室懐かしいわぁ。放課後よくここで友達と喋ったなぁ。みんな元気かな」
「やっぱ見つかったら嫌だからね、静かにね」
職員室の前をコソコソ走る母。苦笑する私。
グラウンドから聞こえてくる野球部の掛け声。
「お母さんね、野球部の男の子のこと好きだったの。告白できなかったんだけどね」
そう呟く母の横顔が一瞬違って見えた。そう、それはいつもの「母親」の姿ではなかった。
私と同じ、高校生の母だった。
家事も仕事もなんでもテキパキこなす母は、私にとって本当に完璧な母で、
だからそんな母にも赤ちゃんの頃があって、私と同じ高校生の時代があって、
それで今の母があるっていうこと、そんなあたり前なこと、思ったこともなかった。
なんだか嬉しくなった。じゃあ私も母みたいになれるかもしれないって。
「さえももう、高校卒業だもんね。早いもんだね、ついこの間小学校だったかと思えば。
大人になっちゃうんだね」
だからお母さん、私をここに連れてきてくれたの?
「どこに行って来たんだ?」家に帰ると、父が尋ねてきた。「ん?ちょっとね、内緒」「なんなんだ?」
母が新たな一面が見れたこのひと時を私は忘れない。
これからも、いろんな顔を私にも見せて欲しい。
母は私の憧れの人だから。そんな風に、なれるように。

