ESSAY

第5回 佳作

沼野 由美子 様 (東京都)


「心音がおちています。1日も早く出しましょう」
 まだ、予定日までひと月余り、何の不調も感じない。他人事のよう。
原因は、母体なのか胎児なのかは産んでみないとわからないと言う。
このご時世の医療にそんなあやふやな。動揺と困惑をよそに、
先生はカルテにむかいながら、事務的な説明をしはじめた。目をあわすわけでもない。
その瞬間、この場がデジャブーのような気がした、どこかで同じような…。
そうだ、父が最期を迎えたあのときの病院だ。のどの奥の方が干上がっていく───
 父は亡くなる7年前に脳溢血で倒れ、重度の左半身不随になった。
幸い、言葉や過去の記憶は奪われず、家族はそれを心底喜び、神や仏に感謝した。
 しかし、本人は違っていた。
器用で何でも自分でやっていた父、仕事人間で加減知らずの父にとって、
今の自分の姿に対する羞恥心と苛立ち、屈辱は想像以上のものだった。
「なんであの時、死なせてくれなかった。なぜ、助けた」と唇を震わせ、言われたことがあった。
はっとした。ひとは生きているんじゃない。生かされている。
麻痺してむくんだ左手を、指相撲の形に組んで「1,2、ほら、負けちゃうぞぉ」
そのときの私には、そう言うのが精一杯だった────
 子供の頃、父と一緒に風呂に入るとよく指相撲をした。倒されまいと私の親指が
牽制していると、父はヒョイっと人差し指を使って、私の親指をひっかけ倒し、抑えこむ。
「ずるぅい!」風呂場の中に響き渡る笑い声────
「またやってよ、お父さん」手をさすりながら、二人で涙した。
 後遺症に押し潰されそうになっていたそんな父も、
私の結婚が決まってからいうもの、一変した。
バージンロードを歩くため、自分自身の最期のプライドと、
何より娘に恥をかかせまいという親心から、リハビリに励んでくれた。
たった数メートルでも、父にとっては何十メートルに感じたことだろう。
私も夢中でよく覚えていないが、ドレスを捲り上げ、介助しながら歩く様は
エスコートとは程遠く、なんとも不恰好ではあったが、胸がいっぱいだった。
「ね、ここで歩くっていう大役を遣り残してたから、あの時、神様は助けたんだよ、お父さん」
心から感謝した。はにかみながらもご満悦な笑みがこぼれた。
 数年後、父は心筋梗塞で病人に担ぎ込まれた。
意識が戻らず、昼夜ICU待合室で祈る家族に、医師の説明はあまりにも惨く、事務的だった。
3日目、私に異変。出血。疲労かと思った。が、院内の婦人科で切迫流産と診断。
絶対安静。初めての新しい命が宿っていた。複雑だった。人生とは皮肉なもの。
 数日後、一人家族を失い、一人、育みだした。
迷っている猶予はなく、私は出産にむかった。私も親になるんだ。
小さいながらも無事、誕生した新しい家族。その小さな手が、いましっかりと私の指を握っている。
「いち、にぃ、さぁん」」我が家のは、ちょっと秘伝のワザありよ。いっぱいやろうね、指相撲。

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