ESSAY

 優秀賞

時間の海

西村 康子 様


 昭和30年、40年代の高度成長期、高松市で育った私は、学校から帰っては海を眺めて何時間も過ごした。海と言っても、砂利を運ぶトラックが盛んに行き来する埋め立て工事中の突堤の端っこで、友達とたわいない話をしたり、或いは一人で暗くなるまで詩を作ったりしていた。きらきらと打ち寄せる瀬戸内の穏やかな波、時折遠くを行きかう船影、魚の跳ねる音、開発され変わっていく海岸。一瞬であり永遠であることの美しさとはかなさが、青い波に運ばれて来ては消えて行った。
 また、何かの用事で父と出かけた小さな桟橋で、夜光虫を見かけたことも鮮明に覚えている。夜光虫とは赤潮を形成しているもので珍しいものではないらしいが、漁業に大きな害を与える赤潮の変形が、夜には青白い燐光を放つという神秘。風に波立つ杭にからまりながら、妖しく発光する波間を飽かずに眺めた。
  宇高連絡船が故郷をつないでいた頃、上京した学生時代に俳句を作り始めた。ある日、入院した仲間の男子学生を見舞いに行った。文芸の話に終始した狭い病室でのひととき、ふと枕元で手にした山本健吉著『現代俳句』から、オレンジ色の花びらがこぼれ落ちた。病と闘いながら瑞々しい多くの名句を残した境涯の俳人石田波郷。読み込まれた文庫本のそのページにはさまれていたひなげしは、前回の見舞いに私が持参した小さな花束よりの一片であった。
 押し花のポピー波郷の頁より   西村我尼吾
40年経って振り返れば、この句は私にとって「17文字のプロポーズ」となった。現在はジャカルタにて単身赴任で暮らす夫の還暦祝に、念願のロレックスを贈ることができたことが嬉しい。愛する夫の腕でこれからも豊かな時間の海を刻み続けて欲しいと願っている。
 遠景はいつも幼年いわし雲   康子

ESSAY TOP

このページのトップへ